LOGIN慧に連れてこられたのはBARだった。 静かなジャズが流れる落ち着いた店内。 薄暗い照明と大きなガラスから入る月の灯かり。「素敵なお店ですね」「だろ。莉央と来たかったんだ」「慧さん、こういうお店詳しいんですか?」「いいや。たまたまネットで見たんだ」「へぇ……意外ですね」「そうか?」 案内されたペアシートのソファ。 並んで座ると目の前は夜景が一望できた。「慧さん、ネットとか携帯あんまり見なさそうなイメージだったので」「まぁ、前は……そうだったな」「前?」「莉央と付き合う前ってこと」「どうして変わったんですか?」「ん? そりゃあ……」「……?」 夜景を見ていた莉央は慧の視線に気がついた。「慧さん?」「莉央のおかげかな」「私ですか?」「ああ。楽しいも嬉しいも共有したいって思えるからな」「……さらっと嬉しいこと言わないでください」 ぽっと赤くなる莉央の頬。「本音だし。あと、覚えてるか? 約束」「約束……?」 慧は少しだけ目を細めた。「プロジェクトが成功したら、俺がご褒美をやるって言っただろ」「あ……」 そうだった。 でもまだ正式に成功したわけではない。 あくまでもプレゼンがうまくいっただけ。「でもまだ……」「大丈夫だ。必ず成功するから」 慧が自信たっぷりで微笑む。 その眼を見てると不思議と成功する気がしてしまう。「じゃあ、ご褒美……くれるんですか?」「ああ。だから次の土日、俺にくれるか?」 さり気なく莉央の手をとり、その甲を撫でる。 この優しい眼差しと、甘い態度にNOなんて言えるわけがない。「はい、もちろんです」「ありがとう」 満足そうに笑った慧はもう一度莉央の手を握り直した。 「じゃあ今日は遅くならないようにしないとな」「明日も仕事ですもんね」 慧との時間がこんなにも恋しくなるなんて。 会社で毎日顔を合わせてるのに。「こら、そんな顔しない。連れ去りたくなる」「そんな顔って……」「次の土日まですぐだ。楽しみにしてて」「はい」 莉央のどんな表情でも見落とさない慧。 こんなに幸せでいいのかと思うほど。 次の土日はきっと。 二人だけの、特別な休日。To be continued
ついにやってきたプレゼン本番。 会議室には役員を含めたプロジェクト関係者が並んでいた。 会社にとっても重要なプロジェクトであり、莉央にとっては初めて任された大きな仕事。(ふぅ~……大丈夫、絶対成功させてみせる!) 資料を持つ手に、少しだけ力が入る。「……大丈夫」 小さく呟いた、そのとき。 会議室の一番奥。 腕を組んで座る慧と目が合った。 ほんの一瞬だったけれど。 慧は何も言わず、ただ小さく頷いた。『大丈夫だ』 そう言われてるような気がして気持ちが落ち着いた。 莉央はゆっくり息を吸う。「それでは、時間になりましたので始めます」 滑り出しはは順調だった。 寸分の隙も無い市場分析。 練りに練った企画内容。 削減できるところは削った予算。 そして今後の展開。 想定していた質問にも、落ち着いて答えていく。 けれど最後に役員から予想していなかった質問が飛んできた。「この企画が失敗する可能性については?」 一瞬、空気が止まった。 視線が集まり莉央の心臓が大きく鳴る。(っ……だめ、弱気になっちゃ……ここまで頑張ってきたんだもの。逃げるわけにはいかない) 莉央は顔を上げた。「もちろん、リスクはあります」 正直に答える。「ですが、そのリスクを想定したうえで、こちらの対策を用意しています」 画面を切り替える。「成功することだけを考えた企画ではありません。失敗する可能性まで含めて、最後まで責任を持って運用できる企画にしました」 莉央は続ける。「しかし私は、このプロジェクトを失敗させるつもりはありません」 まっすぐ前を見る。「そのために、最後まで責任を持ってやり遂げます」 言い切った。 数秒の沈黙のあと、役員が頷いた。「分かりました。期待しています」「この企画で進めてください」「はいっ! ありがとうございます!」 その瞬間。 莉央の胸に、熱いものが込み上げた。 その日は定時で上がった。 なぜなら……。『退社後、裏出口で待ってて』 慧からプレゼン後にきたメール。 もちろん『はい』と即レス。「お疲れ様でーす」「お疲れー。白石ちゃーん、今度祝賀会しようぜ~」「ふふ、楽しみにしてます」 足取り軽く莉央は会社の裏出口へ向かった。 すると……。 「お疲れ」 背後から声がした。 振り返る
「さっきトイレに行った」「そうなんですね」「何か用か?」「いえ、ちょっと確認したいことがあって」 出て行く気配のない部下に慧は続けた。「だったらオフィスで待ってろ。おそらくこっちにはもう戻らない」「そうですか。わかりました、ありがとうございます」「ああ」 バタンと扉が閉まり部下が出ていった。「……」「……」 棚の陰から、莉央がそっと顔を出す。「……焦りましたね」「かなりな」 慧が小さく笑う。「心臓、止まるかと思いました」「俺も」 そう言いながら、慧は莉央の髪を優しく撫でた。「でも」「……?」「あと少し遅かったら、隠せなかったかもしれない」「え……?」「俺はいつバレてもいいと思ってる」「え……」 さらりと言ってから、慧は少しだけ笑う。 「俺は莉央が俺の恋人だって、隠す必要なんてないと思ってる」「も、もう……!」 慌てる莉央を見て、慧は楽しそうに笑う。「安心しろ。莉央が望む間は、ちゃんと秘密にする」「あ、りがとうございます」「うん」 莉央のペースで決して無理強いはしない。 慧のそんな優しさに、その言葉に、胸が熱くなる。「その代わり……」「はい……?」 慧は莉央を腰から抱き寄せ繋いだ手に、指を絡める。 「二人きりのときは、ちゃんと俺の彼女でいて」 そう囁かれて。 莉央の胸は、また大きく跳ねた。「……はい」 再び近づいてくる慧。「これで我慢するから……キスさせて」「慧さ、んっ……」 軽く啄むキス。 慧の手がそっと莉央の首筋に触れる。「っ……ん、っ……」 指先から伝わる熱。 絡まる吐息。 すべてに溺れそう。「ぁ、はぁ……」 啄むキスから深い口づけへ。「んんっ……」 そして不意に離れる唇。 でもまた近づいてきて……。「莉央……」 甘い声と囁き。「慧、さん……」 熱くなった身体と潤む瞳で慧を見上げる。「っ……無理、可愛すぎ」「……ンッ」 そのまま深く唇を奪われて。 余裕のない本気のキス。「ん、はっ……ン、慧……さん」 息も忘れるくらい甘く蕩かされて、莉央は慧の肩を掴んだ。 すると慧が、唇を重ねたまま低く笑う。「責任取って。煽ったの、そっちだから」「アッ……」 数分後。 会社でのキスは禁止、と莉央の通達がでたのは言うまでもない。To b
慧が体調を崩してから、数日。 すっかり元気になった慧だけれど、二人は相変わらず忙しかった。(最近、全然話せてないな……) プロジェクトの準備で忙しく、二人きりになる時間はほとんどない。 仕事中に交わす言葉は、上司と部下としてのものばかり。「黒瀬部長、これ確認お願いします」「ああ、わかった」 テキパキと仕事をこなす慧。 あの日、熱にうなされながら莉央の手を握っていた人とは思えない。(やっぱり……夢みたいだったな) 少し寂しく思いながら、自分のデスクへ向かう。 その時。 「白石。この資料、資料室にあるから取ってきてくれ」「はい」 頼まれた資料を探しに、莉央は資料室へ向かった。 人気の少ない資料室は紙の匂いでいっぱいだ。「早く見つけて戻ろう。もうすぐお昼だし」 目当ての資料は数年分。「これ、1人で持っていけるかな……」 そんな不安を抱きながら資料を集めていると……。 ガチャ、バタン! 「え?」 振り返ると。「……慧さん?」「静かに」 さっきよりも少し優しい表情。「仕事は?」「終わらせてきた」「じゃあなにか問題でも? どうかしたんですか?」 純粋な莉央の質問。「2人きりになりたくて」「えっ……」 急な距離の詰め方に莉央は不意打ちを食らったみたい。 一歩近寄った慧がふわりを彼女を抱き締める。「ちょ、ちょっと。今仕事中ですよ!」 誰もいないけど小声で慧を止めようとする莉央。 だけど……。「嫌? 少しでいい」「っ……それだめって言えないの分かってて言ってますよね?」「さあ?」「もう……」 ふわりと香る慧の匂いと、ほどよい体温が莉央を誘惑する。(ほんと慧さんの香り、落ち着く……)「はぁ……落ち着く」「え?」「莉央とこうするの、俺の安定剤」「ふふふ……私も今、おんなじこと思ってました」「そうか……じゃあ俺が今したいこと、わかるか?」「え……っと」 耳元に顔を寄せられる。「莉央……」「……っ」 顔が一気に熱くなる。「わかった?」「……」 顔を真っ赤にしながら見上げると、慧の顔が近づく。 唇が重なる。 久しぶりのキス。 嬉しくて莉央がそっと慧のスーツを掴んだ、そのとき。 ガチャガチャ……。 扉の向こうに誰かがいる。「慧さん、誰か入ってくるかも」「……こっち」
中に入ると寝室以外は真っ暗だった。「慧さん、熱測りますよ」 ソファにもたれて座る慧に体温計を渡す。 その姿はいつもと違って少し弱々しい。 ピピッ…ピピッ…「見せてください」「ん……」「38.8!? 慧さん、ベッドで横になっててください」「ふふ……わかった」 素直に寝室に向かう。 莉央もついていき、ちゃんと横になるまで見守った。「少し寝ててください」「ああ……」「薬は?」「解熱剤は飲んだよ」「じゃあ効くまで休んでてください。起きたとに何か食べれそうなもの用意しときますね」「悪いな……」「いえ、嬉しいんで大丈夫です」「そっか」「はい」 いつもなら余裕の笑みを浮かべる慧なのに。 今日はどこか幼く感じてしまい笑みが零れる。「じゃ、寝ててくださいね」 そう言って莉央はベッドから離れた。 でも。「待って」 慧の手が莉央の手首を掴んだ。「慧さん?」「手」「え?」「少しだけ……繋いでて」「ふふ……いいですよ」 莉央はそっと手を握った。 熱い掌。 大きな指。「いつもと逆ですね」「そうか?」「今日は私の番です」「ありがとう。頼ってもいいんだ?」 その言葉に胸が熱くなる。「もちろんです」 しばらく手を握っていると慧から心地よい寝息が聞こえてきた。 起こさないように部屋を出てキッチンに向かった。 3時間後。 様子を見に行くと慧がちょうど目覚めたところだった。「あ、慧さん。目が覚めました?」「あぁ。今何時だ?」「夜10時前です」「ごめん。寝すぎた」「謝らないでください。寝るのが一番の薬なんですから。ご飯食べれます?」「ああ……お腹空いたな」「待っててくださいね」 莉央が作ったたまご粥を持って寝室へ戻る。「はい、慧さん」「……自分で」「あーん、してください」「……子供じゃない」「病人ですね」「……」「はい、あーん」「……」 少し迷った慧だが、口を開けた。 その姿がおかしくて、可愛くて。 莉央は思わず笑ってしまう。「笑うな」「すみません」「後で覚えてろ」「元気になったらですね」 すると慧は少しだけ目を細めた。 莉央の温かい気持ちと一緒に、慧はたまご粥を平らげた。「ありがとう、莉央」「いえいえ。早く良くなってくださいね」「うん……じゃあ、こっち」 ポ
朝から慧の様子がおかしかった。 会議中も言葉数が少なく静か。 資料をめくる指も遅い。 ぼんやりしていて、いつもの鋭さがない。 (おかしい……) 莉央は慧の様子を見て違和感を覚えた。(やっぱり……顔色が悪い) 莉央はこっそりスマホを開いた。『大丈夫ですか?』 慧に向けてメッセージを送った。 すると、すぐに返信が来る。『平気』 短い返事。 ふと視線を上げる。 慧もこちらを見ていた。 ほんの少しだけ眉が上がる。 大丈夫だ、と言いたいような顔。 けれど顔色は悪い。 莉央の心配をよそに慧は仕事を続けていた。 が、昼過ぎ。 その日は月に一度の幹部会議で、専務が営業部に来ていた日。「黒瀬」「はい」「顔色悪いぞ」「そうですか? 最近、寝不足で」「……」「……あの、島崎専務?」「黒瀬、今日はもう帰れ」「え?」 島崎専務の言葉に社内がざわつく。「そんな状態で仕事してもパフォーマンスが落ちるだけだ」「はい……」「それにな、そんな面してたら男前が台無しだぞ?」「……ふっ、なんですかそれ」「分かったならとっとと帰れ。ついでに病院にも行けよ」「はい。ありがとうございます」 専務の助言を素直に受け入れた慧はそのまま会社を後にした。 午後5時。「お疲れ様でした!」 莉央は退勤時間ピッタリに会社を出た。「慧さん、大丈夫かな……」 心配で落ち着かない莉央は慧にメールを送る。『大丈夫ですか? 何か食べましたか?』 なかなか既読にならなくてソワソワしていると…。 ポロン!『まだ』『熱、ありますか?』『少し』 その返事を見て莉央はスーパーへ走っていた。 ピンポーン! 慧の家のインターホンを鳴らすと、少ししてからドアが開いた。「莉央……」 そこには部屋着姿の慧が立っていた。「来ちゃいました……」「こんな時間に?」「心配だったので……」 慧が少し困ったように笑う。「うつしたくないから来て欲しくなかったのに……」「怒りますか?」「……怒れるわけない。本当は来て欲しかったから」「慧さん……」「我儘でごめん」 いつもより少し元気のない笑みで笑う慧。「もっと頼ってください。彼女の特権……ですから」 嬉しそうに笑う莉央。「ったく……敵わないな」「え? 何か言いました?」「いや、なにも
来週のプレゼンに向けて、慧とふたりで作業をすることに。 会議室で資料を並べていると、慧がすっと隣に腰を下ろす。「……あれ? 部長、反対側じゃなくていいんですか?」 「画面、見づらいでしょ。こっちの方が見やすいから」 それだけ言って、莉央のすぐ隣に座る。 距離、ほんの数センチ。画面を覗き込む慧の息がかかるほど近い。(ち、近い……!) 慧は平然とした顔でパソコンを操作していて、全然動じる様子がない。 けれど莉央の心臓は、すでに爆発寸前。「……これ、どう思う?」 「あ、え、っと……私は……」(集中できるわけないじゃん!!)「………?」 莉央がモニターから目
その日は、部署の飲み会。 慧はいつものように、静かにグラスを傾けていただけなのに……。 女性社員たちがこぞって席を替わりながら話しかけてくる。「部長って彼女いないんですか?」 「え、じゃあ今フリー? すっごい意外!」 「休日は何してるんですか? 今度よかったら……」(……またかぁ……) 莉央は、笑顔で対応する慧を横目に、黙々とビールを煽っていた。(わかってる。部長は悪くない。この状況はいつものことだけど……でも、やだ……) グラスを置く音が、少しだけ強くなった。 気づけば、顔がぽーっと熱くて、思考もふわふわ。 そんな莉央を見て、慧が声をかける。「白
翌朝、昨夜を思い出して顔を真っ赤にして起きる莉央と、少し寝不足そうだけど余裕の笑みを浮かべる慧。「おはよう、白石」 「おは、ようございます……」(ぅぅ……もう、今日一日まともに目合わせられないっ……) 会社に戻るも慧はいつも通り。 何も変わらない態度が逆になんだかもどかしい。 そして、無情にも時間だけは過ぎていき、あっという間に数週間がたった。(最近、黒瀬さんとあんまり話せてない……気がする) 話しかけたいのに、忙しそうなタイミングばかりで。 差し入れのお礼もろくにできないまま、距離だけが空いていくようで。(やっぱり……私なんか、特別じゃなかったのかな)
地方出張、日帰り予定が急遽の泊まりに変更。 会議が押して、ホテルにチェックインした時にはもう22時を回っていた。「……え、手違い?」 「はい。誠に申し訳ございません」 「どうした」 「あ、それが……」 2部屋予約したはずがホテル側のミスでなぜかタブルの1部屋予約になってしまったことを説明。 フロントスタッフは申し訳なさそうな声で、頭を下げていた。「他に空いてる部屋、ってないですよね?」 「はい……本日は満室でして……ご希望の部屋がご用意できず、大変申し訳ありません」 「仕方ないな」 ハプニングの末、同じ部屋に泊まることになってしまった。 隣にいた